教員研修スペシャルイベント2009 C6「学習指導&進路指導基礎講座」


ご質問への回答:多く寄せられたご質問や有意な回答が可能なものを選ばせていただきました。
質問文の表現は原文と異なる場合がありますが、ご了承下さい。

生徒自身が自らの適性に固定観念を抱いてしまい、それがやる気のマイナス要因となる場合にどのような働きかけが有効ですか。

高校生ともなれば、ある程度の自己イメージが確立しているのも無理はありません。自身の可能性を限定的に捉え、進路選びや努力の対象の範囲を狭めてしまいます。その影響についてあまり意識もないまま「私は文系だから」などの自分に対するラベルを貼ることは自らの可能性を狭めるだけで、得るものはないのだということを生徒にも伝えたいと思います。自己イメージの固定化に際して教師にできることは、問いかけによって固定観念を崩していくことです。「なぜ、自分を○○(=「文系」などの類型名)だと思うのか?」「進路希望の実現の上で、実際に障害となっているのは何?」「その障害を取り除くことは出来ないの?」、さらには「実際にやってみた?」など、順を追って生徒自らの言葉を引き出しながら、限界が想像によるものであることに気付かせてあげられればよいのではないでしょうか。すべての行動領域について問い掛けを行うのは現実的には困難だと思いますが、少なくとも、生徒が自らの進路希望の選択肢を狭めているようなケースは看過したくないものです。


個人で改善できる事柄を学校全体、教科全体で拡げていくにはどうしたらよいでしょう。

校内で企画運営される研究授業のテーマに取り上げるのが最適な方法の一つですが、手順を誤ると、教員間の価値観競合だけが強調して顕在化する結果となることがあります。企画運営の方法などについては、拙稿「成果を上げる研究授業(前・後編)」が代ゼミ教育総研会員専用サイトhttp://www.eri-limited.com/にて公開されておりますのでご高覧下さい。企画上の留意点や運用の方法については、教科学習指導のみならず進路指導にも当てはまるものです。


教科自体がきらいな生徒のやる気の引き出す方法を教えてほしい。嫌いになる原因は様々であるが、嫌いだから勉強しないという問題に直面しています。

ある教科を徹底的に嫌いになってしまった生徒に対する指導のご苦労のほど、ご推察いたします。講義でも触れましたが成功体験が希薄な場合、やろうとして出来ない自分に対峙するより、やらないことで自己肯定感を保持するという選択肢をとるのもある意味では当然のことだと思います。ここで教師が採りうる行動の一つは、目の前に“克服できそうな小さな目標”を与えて、僅かずつでも達成感を積み上げさせることにあります。何かが出来たという体験は、「なんでこんなことがわからなかったのだろう」という自らの可能性への再発見の機会です。一方、興味を引きそうな話題を提供するという方法はなかなか初期の成果を得ていないようです。この辺りの考察については、会員専用サイトから「興味関心を引き出す学習指導〈(3)−1〉」をご参照下さい。


パワーポイントなどの教育機器の活用について興味があります。本日使用したスライドの背景や項目を示すマークなどは、教育的効果を考えて作られたものなのでしょうか。

特に意識しているのは、情報の階層性を正しく表現することと、デザインなどの余計な要素が焦点を当てたい文字列への視線を邪魔しないことぐらいでしょうか。この意味で、背景デザインは地味なものを選びましたし、項目記号も出来るだけプレーンなものを使っています。また、矢印などの記号類は(因果や展開)、(対立)など、視覚イメージと意味合いがずれないものだけを選択しました。過度な装飾や、図表への過剰な依存は、文字での理解を妨げることがあります。絵柄でわかったつもりになってしまい、分析や記憶の主道具である言葉の存在を希薄にすることが、却って理解を浅くすることがあるとの懸念によるものです。できる限りセンテンスに近い形式で情報を示しているのは、記号や位置関係に頼って生じる誤解を抑制したいとの意図の表れです。この意図と、視覚的にイメージをしてもらいたいという意図とは、場面により競合しますが、解析力を身につけた方々を受講者として想定する場合(特に教員研修はこれに当てはまります)には、個々の受講者の皆様のニーズに応じた再構成(図表などへのまとめ直しなど)にバイアスをかけないように、前者を優先することが多くなります。


勉強に目を向けていない生徒や基礎力が不足している生徒に如何に家庭学習をさせたらよいでしょうか。/(類似のご質問)古典や英語のように予習前提の科目はどのように指導したらよいのでしょうか。

会員専用サイトに掲出中の「低活動スパイラルからの脱出」が回答になればと存じます。少し前の記事になりますが、『「生徒の家庭学習が不十分で、予習を前提とした授業ができない」「生徒に発言させようとしているが反応が悪く授業が進まない」「復習の課題を与えても一部の生徒しか取り組まない」こんなもどかしさを感じながらも有効な解決手段を打てずにいることも少なくない。解決の糸口はいったいどこにあるのだろうか?』という内容の一稿です。


ある生徒を指名すると滞る場合があります。その生徒が出来るまで解説すると、わかっている他の生徒が話を聞かなくなることがあり、対応に迷います。/(類似のご質問)発問してから解答までにじっと黙ったまま時間がかかる生徒に対して、どのように対処すればよいのでしょうか。

一つの解決策は、発問や課題を小さいステップに分けること(段階化)であると考えます。仮に10のステップを経て正解を得る課題があるとしましょう。中途段階で参照知識の欠落や思考ルーチンへの未習熟を抱えている生徒に、最終の答えを問えば当然ながら答えにつまり、どこで躓いているかを特定する為に10のステップすべてをトレースし直してあげなければならなくなります。この間、わかっている生徒は待機することになり、この待ちが緊張感の維持を妨げます。一方、段階ごとに前提知識の付与、発問、確認を細かく繰り返す場合、躓きがあった場合でもそのステップだけをやり直せばよいため、リズムを壊す可能性は抑制できます。また、確認のために個々の生徒を指名して発言させるというやり方に対して、クラス全体に発問を投げかけ、思考が行き渡るのを待ち、教師側からそのステップの解答を与えるというのも積極的にとりたい手法です。一定の思考を経た後に解答や説明が与えられることで「ああ、そんなことか」と理解を得る可能性が高くなるだけでなく、答えられないことによる羞恥や自己有能感の喪失をふせぎ、モチベーションの余分な低下を防ぐ効果も期待できます。


できる限り生徒の自発的な発言を促したいと考えていますが、クラスによってはこちらから当てないと誰も発言しないことがあります。この場合、どうしたらよいでしょうか。

生徒の個性やクラスの雰囲気などの問題も確かにありますが、発問のあり方での改善も図り得ると考えられます。事前の説明によって前提知識を十分に与え、求められる解答がイメージできるような具体的な問い方を心掛けてみてください。その上で、クラス全体に問いを発し、個々の生徒の反応を見ながら指名を行います。全体の反応が極端に薄い場合には、教師が解答者になることもあります。「答えない」というのは、答える意志がないというより、求められているものが理解できず戸惑いや躊躇が優先するか、間違えたときの誤った扱われ方を重ねた結果、自己有能感保持への欲求が強まっているかのいずれかである場合が多いとお考え下さい。前者は如上の通り「問い方」の問題、後者は「解答者に対するケア」の問題です。戸惑っているうちに当てられて答えられない、何のフォローもなく他の生徒に指名が切り替わって授業が進んでいく、というのでは生徒も立つ瀬がありません。指名するからには、解答できる状態を整えておくのが指導者の仕事であると考えます。万が一、回答できない場合には、課題をさらに分解し、より小さなステップに分けて問い直したり、前提知識を与え直したりするなど、その場で何らかの(仮に発問が変わったとしても)解答を出せるようにしてあげましょう。


パワーポイントなどの教育機器を使った指導の可能性について興味があります。どのようにお考えですか。

私自身は、教員向けにはパワーポイントを使いますが、生徒向けにはあまり使いません。理由は講座でも触れた「板書は問題解決プロセスの共時体験である」という考え方にあります。パワーポイントは、当然ながら一定以上の準備を踏んで使うものですから、生徒はプロセスを共時的に体験する機会の一部を失うことになります。積極的に使うのは、動きを表現したり(英語で速読力を高める指導の一貫で、テキストをスクロールさせるような試みは効果的でした)、映像など板書では代替不能な教材を扱う場合に限られます。また、板書には、一度書いた内容に加筆や修正を加えることで「再整理」や「強調」を行う機能がありますが、これをパワーポイントで行うのは難しいとも感じています。パワーポイントやスライド、ビデオなどを利用した場合には、生徒の復習の便宜を図るため、図書室やPCルームでいつでも見れるようにメディアを用意しておくことも大切でしょう。
一方、企画会議などでのプレゼンテーションは、視覚的により強固なイメージを与えることが第一義であり、共時体験をさせる必要はありませんから、手書きで図版も使いにくい黒板やホワイトボードより、事前の組み上げができるパワーポイントの優位は明らかです。では、教員研修でパワーポイントを使う理由はなんでしょうか。これは、講義の主たる目的が、課題解決力の養成ではなく、継続的な自己研鑽を可能にする尺度としての基礎理解を形成することにあるためです。先生方が現場に戻られてから、日々の授業のチェックと改善の方向作りにお役立ていただくには、授業が満たす要件を体系化して示すべきと考えて、このような形での研修を行っています。


講義レジュメに「サブノート式のプリントにも統合的理解」と書いてありますが、意味が良くわかりません。

申し訳ありません、説明が不十分でした。統合感(あるいは知識の統合)とは、個々バラバラに蓄積されてきた知識が互いに関連付けられ、全体像を形成することを指します。これにより、直接体験がない領域にも理解と想像が及ぶようになって、単元や領域全体に自らのコントロールが及ぶという感覚(=即ち、得意意識)が生まれるというものです。学力向上のキーとなる他の2つの用語(「意味の統合」と「問題検知センサー」)と共に、会員専用サイトの拙稿「興味関心を引き出す学習指導〈(3)−3〉」及び「正しい学びの先にあるもの〜諦めさせない学習指導」に関連記事がありますので、是非お御読みいただければと存じます。


生の講座を聞きたいのですが、東京でしか開講しないのでしょうか。

教員研修スペシャルイベントについては、当面の間、東京での講座を全国に配信する形を取る予定です。夏の教員研修セミナー(学習指導スキル研修プログラム、授業法研究ワンデイセミナー)は、東京本部校のほか、大阪会場でも対面生講座を設置しておりますのでご利用下さい。また、各学校をお訪ねしての研修も承っております。以下に詳細がありますのでご参照下さい。http://www.yozemi-eri.com/seminar/trip.html


数学の授業などで、生徒に解答を板書させたり、さらに解説を行わせたりすることに意味があるのでしょうか。

クラス全体での学習活動総量という観点からすると、一人の生徒が板書している間に他の生徒の活動が希薄になる点は心配です。また、生徒による板書や説明の技術は当然ながら教員に劣る為、教師が普通に授業を行うことに勝るメリットはないと考えます。何よりも、思考のステップを共時的に体験させるという機能がないことが、否定的にお答えせざるを得ない最大の理由です。
総合的学習や探求活動においては、発表の機会を与えることは活動に達成感をもたらすために必須といえますが、通常の学習指導では主眼から逸れるように思われます。但し、生徒が予め提出した答案のうち、発想などに学ぶべき点があるようなケースでは、発表機会を与えることで自己有能感の増大を図り、他の生徒の刺激になる効果は期待できるかもしれません。特に後者は、生徒同士の実力や意欲が均衡している場合には一定の効果が期待できますが、逆に生徒間の差異が大きいケースでは運用の難しさだけが強調されることになりそうです。


テキストに掲載されていた「目標と達成手段の周知」や「思考促進と学力伸長の実感」の図表の出所はどこでしょうか。

当研究所が受託している高等学校の生徒による授業評価アンケートの回答データから集計したものです。いずれも会員専用サイトの拙稿で掲出したものです。特に後者は説明がわかりにくかったかもしれません。説明は会員専用サイトの拙稿「生徒に考えさせる授業とは」の第3節にありますので、御手数ですがお読みいただきますようお願いします。


最後のセルフチェックの説明にあった、伝えたいこと/伝わることの部分をもう一度説明してください。

コミュニケーションにおいては、伝える側の意志と、聞き手の側での結果の2つがそれぞれ独自に存在します。これを図式にすると以下のようになります。

失敗@は、意識的に行っていることが成果を得ていないということなので、検証手段も用意しやすく発信者側が失敗に気づくことが比較的容易です。これに対して失敗Aは、意図しないものが伝わっているので検知に困難があります。生徒が板書を写し終わるまで待ってあげようという意図に反して、「別に急がなくても待っていてくれるんだからいいや」という発信者が意図せぬメッセージが生徒に伝わってしまい、結果としてノートを取るのが遅くなっていくというケースはこの典型の一つです。


世界史などのように単元が次々と移り、相互の関連も薄い場合に一つの学びが他の領域の学びに寄与することは示しにくいと思います。自己有能感を得られるような達成課題を示すのはどのような形になるのでしょうか。

単元に閉じた内容でも、知識の蓄積だけでなく、それらが相互につながった全体像を得ることは可能です。国公立二次などの出題例に倣い、時代全体を俯瞰するような設問を与えることで、全体観を得たか(即ち知識が相互に関連付けられたか)を確認することは有効な手段であり、取りも直さず初出単元の指導において入試対策もできるという副次的効果も期待できます。また、学習の済んだ2つ以上の単元を比較し共通項と差異を問うことで、その単元の本質に接近することを体験させることも「理解できた」「わかるようになった」という実感を与えることにつながります。


以上、順不同で回答させていただきました。ご質問の趣旨を取り違えている部分もあろうかと存じますが、何らかのご参考となれば幸甚です。